極楽寺の歴史

真言宗豊山派 西境山 大徳院 極楽寺

 伊賀四国霊場第五十番 / 三重四国霊場第四十九番 / 伊賀準西国霊場第二番
 本尊 不動明王   開創年 後鳥羽帝御宇(1183~1198)
 本尊御真言  のうまく さんまんだ ばざらだん せんだん まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

当山は新義真言宗に属し、三重県名張市赤目町一ノ井にあり、
後鳥羽天皇の御代に道観長者が開創せられたと伝えられ、西境山極楽寺大徳院と称します。
本尊の不動明王、二月堂、十一面観世音、聖観世音菩薩は長者の護持仏として伝えられ、
御利益霊験にして今に変ることなく広く転災為福の巨益を授けられ、また聖観世音菩薩は春日仏師の作と伝えられ、
明硺の画像、印板等の宝物が伝わっています。 

   
 家内安全・諸願成就大護摩法要  大施餓鬼会

奈良に春を迎える儀式として有名な、東大寺二月堂のお水取り「修二会(しゅにえ)」に、一ノ井の松明講と協力をして松明をお納めしています。

極楽寺の開基

奈良東大寺・二月堂において 毎年3月12日に行われるお水取り行事に、
松明講と共同して760年以上もの長きにわたり、松明を送り続けているお寺です。
江戸時代初期の著書「伊水温故にも、伊賀一ノ井の地に住し、後に若狭の南無観長者と協力し、東大寺・二月堂を再興した
道観長者の開基になると記されています。
また、寺山に今も長者の護持仏であったと言われる不動明王と二月堂本尊と同じ十一面観世音が祠られています。
松明調進は二月堂再興と併せて修二会(お水取り)に松明調進を始めたのも長者であり、長者亡き後はその遺言により、
一ノ井の住民達によって引き継がれ、現在に至っています。
松明調進については、「松明調進」のページをご参照下さい


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南都二月堂人足帳と二月堂頂戴箱

南都二月堂人足帳 

松明調進当番の名を記録したもの。
安永10年(1781年)から今年まで、毎年5名の名が記されています。
当番はくじ引きで決定され、輪番制の年預2名を加えた7名が行事を担当します。
大きさ: 縦34.5 横12.4   江戸時代~近代(18~21世紀)

 
二月堂頂戴箱
   (右から2枚目)

松明を調進したのち、修二会で使用した牛玉(ごおう)・壇供(だんく)・南天実など、
二月堂から頂戴する品を入れる箱。
箱中書に、天保5年(1834)の年紀があります。上蓋裏書の記述によると、
頂戴した牛玉のうち、奉書紙のもの2幅・杉原紙のもの3幅は行事を援助していた藤堂藩の
藩の上野役所へ進上されました。現在も松明調進時にはこの箱を持参します。
大きさ: 縦28.5 横20.6 高さ8.4  (現存する品の中で最古の年紀は「天和2年(1682年)」が確認されています。)
  


    
    
   
昭和57年ごろの松明調進の様子

   
(左端)昭和31年おたいまつ法要 奉納 赤井優氏   (中左)伊賀四国巡拝記念 昭和34年3月
(中右)昭和30年3月 松明調進 徒歩のようす   (右端)昭和30年3月10日 道観長者700年遠忌法要にて


東大寺サミット'97 in 伊賀

平成9年10月23,24日に、当寺と大山田村の新大仏寺にて開催されました。


 

   

   


過去に掲載された記事
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 2011/2/12掲載
1987/4     1980/3/1

1983/2/13